フランス、パリのエッフェル塔は1989年に施行され100周年にあたる1989年の写真です。塔の上の部分にライティングで100ausと書かれ、この年だけ撮影できるエッフェルの姿になります。
写真
未来都市?軍艦マンション
新宿にあるニュースカイビルは軍艦マンションや軍艦ビルと呼ばれ建築好きだけでなく多くの人を魅了するビルで有名です。
設計は渡邊洋治氏で、そのデザインは軍艦の檣楼部そのものが建物になってしまったかのようで、街の景色を一変してしまう程の存在感を放っています。
まるで未来都市のようにも見えてくる軍艦マンションを私のテーマでもあるKIMLANDSCAPE FUTUER TOKYOのシリーズとして撮影しました。
もうこの角度の軍艦マンションは軍艦檣楼部そのものですね。その屋上は、さらに軍艦のデッキそのものらしいです。
内部の撮影許可をもらってないため外観写真だけですが、是非、内部や屋上を撮影させていただきたいものです。
現在はオフィスやシェアハウスとしてリノベーションされてGUNKAN東新宿ビルになった軍艦マンションのエントランスはオシャレです。
入居者も相当こだわりの方々と想像できますね。
見上げる軍艦マンションの姿も未来的です。
そんな未来都市を感じる東京の風景を集めたPHOTO GALLERYのKIMLANDSCAPE FUTUER TOKYOをHP出公開中です。
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キース・へリング 1988年ポートレイト
1988年にキース・へリングが来日した際に、彼がガラス越しに絵を描いているところを撮影したポートレートです。
キース・へリングといえばストリート・アート界の先駆者、ポップアートで誰もが認める、誰もが知ってるアーティストです。
もし、キース・へリングやバスキアがいなかったら、あのバンクシーも生まれなかったかもしれない、と言っても過言ではないでしょう。
ところで、何故学生服を着ているのかって?彼は日本に着た時に学生服が是非欲しいと希望してて、早速プレゼントされた学生服を着てのご機嫌な撮影となったのです。
さらに気さくな彼は通りがかりの学生たちに囲まれ、まるで修学旅行のような記念写真にも応じて、一人一人にもサインするなど素晴らしい人でした。それらの写真も私のHPで見れるので訪れて見てください。
このKeith Haringのポートレートは撮影後にプリントを彼にプレゼントした際に、私への直筆サインもお願いしたら、なんと余白の部分に絵の続きをドローイングで描き加えてくれた写真です。
多分、ガラス越しの彼のポートレートも世の中にそう存在しないだろうに、直筆サインだけでなくドローイングまでされたKeith Haringのポートレートは、この1枚しか無いかもしれません。
もう一枚サインしてもらった写真はありますが絵は描き足しては無いのです。
さらに撮影の時に使ってたカメラバックにもカメラ人間の絵とサインを入れてくれました。
こちらは残念ながら銀のマーカーで描いてもらったせいか経年劣化で色がかなり薄くなってしまいました。
これらは家宝として大事にしまっておいたのですが、老後のお金がないのでサザビーズ(Sotheby’s )のオークションで売れないかなと悩んでおります。キース!ごめんなさい…
実は画像でも分かるようにFOR…が個人情報なのでシークレットで伏せてありますが、個人へのサインの場合は評価が下がるのかな?
さて、いったい幾らで落札されるのでしょう…
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Keith Haring portraits 1988
This is a portrait of Keith Haring who is famous as an artist of the pop art work.
When Keith Haring came to Japan in 1988, I photographed it that he drew a picture on the glass.
And he added a painting and a signature to the photograph print.
I wish I sell this precious Keith Haring portrait at auction of Sotheby’s.
You can see the portrait photographs of other Keith Haring, here .
南イタリアのアルベロベッロのトゥルッリ
南イタリアのプーリア州には白い壁にとんがり屋根の家、トゥルッリの街並みが美しいアルベロベッロの町は世界遺産にもなっていて観光でも有名です。
イタリア人が見たら「キッベッラ!」と叫ぶこと間違いなしのアルベロベッロ(Alberobello)のトゥルッリ(Trulli)の写真をあえてモノクロで、それもブロニー版のフィルムカメラ、HASSELBLAD(ハッセルブラッド)で2000年に撮影しに行くことになりました。
元々はギリシャに撮影旅行の予定だったのですがダメになり、イタリアン・レストランのマスターの勧めで南イタリアに変更になったがきっかけです。
当時、イタリアに行く際にHASSELBLADと35mmのCONTAXにそれぞれの交換レンズ、三脚などの重装備に保険をかけることにし、保険会社と独自な契約をしました。
念のためですが、カメラは写真家の命?なので高い保険料を払いました。
これは、後にナポリの街で集団スリに囲まれ危ない目に遭い「こいつらグルッポだ!」と叫ぶとチリジリに逃げていなくなり助かりましたが、やはり保険て大事だね、と考えさせられました。
そんな、いろいろあったイタリアでの撮影したアルベロベッロの写真をHPで公開中です。
HPでは他の南イタリアで撮影した、マテラ(Matera)、マルティーナ・フランカ(Martina Franca)の写真も公開中です!
マルティーナ・フランカのギャラリーアップ
1984年の広州の写真ギャラリーをアップ
上海の南に位置する広州の夏は、湿度もあって想像以上に暑い。
半日、写真を撮って回ってるとTシャツがビショビショになってしまい一度ホテルに戻って着替えないといられないくらい。
暑さだけでなく広州は人の往来も激しく街も市場も活気があり昼間だけでなく、あちらこちらから爆竹が聞こえてくるほど夜も眠らない、眠れない?街です。
そして、中国といえば自転車大国、夜は多くの人がライトも点灯せず走っていますが、外灯も少ない街中では眩しいからという理由だそうです。
そんな広州をフイルムカメラで撮影したモノクローム写真のギャラリーです。
1984年の中国、上海の写真ギャラリーをアップ
この頃の上海は手描きの映画看板や古い車に街並みが、古き良き時代の懐かしい昭和の日本にタイムスリップしたような錯覚を起こします。
フイルムカメラで撮影したモノクロ写真は、余計に、そのような感覚を増幅する作品になりました。
多分、イギリス統治の影響の西洋式ビルも日本の懐かしい風景を想い起す要因かもしれません。
夏の上海は、とても暑くてビルの陰で休む人を多く見かけましたが、街で会った好青年は、地方から来たらしく人民服を着て暑さなんか関係ないってくらいの笑顔で撮影に応じてくれました。
世界遺産のMateraの写真ギャラリー
世界遺産で有名なサッシと呼ばれる洞窟住居の広がる街、南イタリア・マテラの写真のギャラリー です。2000年にフイルムカメラのハッセルブラッドで撮影したモノクローム・ネガをスキャンしてデジタル化しPhotoshopでレタッチした作品です。
1988年のオーストラリア写真
1988年に仕事で行ったオーストラリア万博でのオフ日に郊外や内陸地で撮影したモノクロ写真のギャラリーをアップしました。広大な大地のオーストラリア内陸でキャンプ中にカンガルーに遭遇したり、UFOに遭遇したり、郊外の小さな町で見つけた役目を終えてたたずむ古いクルマ達や廃虚になった映画館からクイーンズランド州の美しい砂浜が続くビーチなど思い出が詰まったギャラリーです。
The Australian Dreams 1988のページはこちら